2011/07/10

道産子アナルSAM1登場、そしてMICRO MUSIC90年代末の貴重な記録&証言もアリ!!!

■えー、それでは自己紹介をお願いしますー。

道産子アナルでVoと動きを担当しているSAM1です。

■バンドのメンバーも紹介して下さい。

Vo&Sound担当のSAM2
基本、2人でやってますが、遠距離版というバージョンで、コバ(Conti)とビッキーがいます。

■なんだかんだ言って、活動暦長いっすよねー?

初ライブが、1995年10月5日の高円寺20000Vで、キリヒトの早川さんのブッキングでした。
ちなみに対バンは、望月末山DUO、ラリ卓球。
この年の12月28日、高円寺20000Vで、リトルフジコ、メカトロピカルセメダイン、ダルメシアン、スリーピングビューティー、
という対バンをしたきっかけで、その後の活動が決まっていった感じです。
それから、ライブやったり、CD作ったり、アド街ック天国に出たりしているうち、
2006年にSAM2が仕事で、中国へ行ってしまい2人での活動ができなくなりました。
それで、しょうがないんで遠距離バージョンってことで、SAM1、コバ、ビッキーの3人でライブをやることになりました。
一応SAM2もメンバーで、中国から気を送るというパートを担当しています。
遠距離バージョンでは、2006年~2009年まで、活動してましたが、SAM2の気が送られてこなくなったので、
現在は休止状態となってます。

■活動開始の頃と比べ現在のあなたは楽曲、ライブ、メンタル、実生活、何か変化ありましたか?

楽曲やライブは、まったく変わっていません。2人とも結婚して子どもができたので、自分たちが死んでも、
道産子アナルII世として活動していけそうです。

■毎年毎年、色んなアーティストが出てくるし年齢的にそろそろ「中年」な我々ですが、現在の音楽的なマイブームってあります?

すいません、あんまり音楽聞いてません。子供の影響でAKB48聴いてます。

■現在の音楽以外(生活・趣味、全般)のマイブームも教えて!

虫歯を治す。

■今後のライブやリリースなどの情報もばっちり告知お願いします!(※ライブは7/16以降でお願いします。)

7月13日から、ituneで1st album「DO THANK ANAL」(1997) 発売、2nd album「BASS YA-LOW BUDDHA BAZOOKA」(1999)
を配信する予定です。

あと、9月18日に桜台 Poolでライブあります。たぶん、SAM2が戻って来れる確率は低いので、道産子アナルAloneとして出場予定。

■この先、日本の音楽(ロック、J-POP、ライヴハウス・シーン、音源等、何でも)は どうなっていくと思う?自己流の無責任な予測をお願いします~

予測じゃないけど、いろいろ良い方向に行ってもらいたいです。

■えー、今回の企画はホントに個性的な人達の集まりとなりましたが、他出演者との爆笑エピソードなどあれば!(爆笑でなくても暴露とかでも可ですw)

知らない人が、読んでもさっぱり面白くないかもしれませんが、記録に残すという意味で、ダラダラとそれぞれのバンドとの出会いのエピソードなど。

bossston cruizing mania
鹿島君とは、20000Vの受付のところで、うだうだ話しをしているうちに、無駄に沢山曲数の入ったボストンのカセットを渡されて
1997年4月7日、下北の屋根裏で初対バンボストンクルージングマニア、ハンサム兄弟、ギネススタイル、バハマバ。
この頃、ボストン絡みで、カント55(だっちゃんとニッシー)やハイタワーZ(しゅうちゃん)と知り合った感じ。
その年の12月にボストンとの共同企画でコズミックジャクソンを開始。
第1回目が、1997年12月14日、高円寺20000V、ボストンクルージングマニア、THEマニラ帰り、カント55、FACK IN LIFE。
ちなみに、ボストンの1stのレコ発は、1998年の8月30日、高円寺20000V、ボストンクルージングマニア、パニックスマイル、
THEマニラ帰り、ロレッタセコハン、ガジ。
この頃、フッタ君とバチケンさんとコバックスとで、なぜか公園でサッカーをやって、
その後、当時入院していたスペカン片山君のお見舞い行ったという謎の1日がありました。

ELECTRIC EEL SHOCK
1998年2月22日、渋谷の屋根裏でのEEL SHOCKレコ発に呼んでもらったのが、最初の対バン。
その時のメンツは、ELECTRIC EEL SHOCK、スペースカンフーマン、プーパースクーパーセンター、ステレオリンチ。
打ち上げで森本社長と話をした時、アメリカでライブできるかどうかの下見に行った話を聞いたんですが、
海外でライブやろうとしているのか、すげーなあーと思ってたら、その後本当に海外行きっぱなしになりました。
その後、前川さんに声をかけてもらって始まったのがミクロミュージックというレーベル。
広島での椎名林檎のライブに出た時に、酔っぱらって広島県警のパトカーに、一緒にロケット花火を打ち込んだエピソードが思い出深いですね~。
ジャイアンには、SAM1、SAM2とも結婚パーティーのケーキを作ってもらってお世話になりました。
あと、前川さんのボニーダックのビデオはウチにありますので、いつでも返却可能です。

MUSIC FROM THE MARS
藤井君は、MUSIC FROM THE MARSより先に、PULLで初対バン。
1999年1月31日、高円寺20000V、PULL、PANICSMILE、オンオフ、マザーオブソウル。 
その頃、アタタカキをやっていたコバとかと一緒ぐらいに知り合いになって、自分たちより若いのに、しっかりした連中がでてきなあという印象。
そして現在、坊主頭だったフジイ君は、ロン毛になり、コバは髭をはやし、会った当時とはすっかり風貌が変わってしまいました。

NATSUMEN
NATSUMENとは、実は対バンしたことないんですが…M.O.Iでの対バンが想い出深いです。
1997年6月20日、高円寺20000V、ミミックマン企画でメンツは、
ロリモップ、ミミックマン、M.O.I.、AA撲殺チェーンソーロボトミー、人豚、道産子アナル
ギターを持っていないアセさんを、初めて見ました。その頃同時に、BOATのようなポップなバンドをやっているとは
夢にも思わせないようなボーカルぶりでした。

PANICSMILE
1997年11月11日、パフパフの企画モンドフィックスで初対バン。高円寺20000V、PANICSMILE、パフパフ、コキュー、O.A.C.
その後、初の九州ツアーをブッキングしてもらいました。
そのツアーの時、やっさんがハマっていた、スーパーヨーヨーが大流行りして、リハの最中バンドメンバーがみんなヨーヨーを
やっているという異様な光景が見られました。(たしか吉田さんはやってませんでした。)
あと、ニューヨークから来た大家バンドを、ブッキングした時、
メンバーのミカちゃんに同行してきた、ただのビール好きのアメリカ人だと思っていた、ジェイソンが、
その後PANICSMILEに入ることになるとは思いませんでした。

SPACEKUNG-FU MAN
片山君も20000Vの受付のところで、ウダウダしている時に知り合いました。
スペカンを知った当初は、ハジメ君は入ってなかったのですが、ライブを見に行ったら、「俺今日からスペカンに入るわ」って
いうかなりラフな感じで、入っていたような。
また、アセさんがギターのストラップがなくて、ビニールひもをストラップ代わりにして演奏していたのを覚えています。
初対バンは1996年の9月13日で、スペカン企画、高円寺20000V、スペースカンフーマン、ミミックマン、バレルオルガン、ダルメシアン、コ☆モ、
片山君とは、メカトロピカルセメダインのメンバー仲間なはずだけど、モトリークルーのガールズ・ガールズ・ガールズを
やって以来、ライブやってないよなあ。

WUJABINBIN
1996年9月6日、西荻窪ターニング、確かアフロパーティーという企画に出た時、
先にMONG HANG(その時はMONG HANGという名前ではなかったかも)がやって、
すげー盛り上がってたのに、そのあと自分たちが出て、客を引かせたのを覚えています。
まあ場違いな企画に出たからしょうがないんだけど(笑)
帰りに、ケイタ君とかに、よかったよ~と声をかけてもらった記憶があります。
その後、接点は無かったんだけど、当時ミルコアだったウメジーが、新しいバンドに入ったと聞いて見に行ったら、
MONG HANGだったんだよね~。
正式な初対バンは、1998年11月23日、高円寺20000Vコズミックジャクソンに出てもらった時。
MONG HANG、ボストンクルージングマニア、ハイパーシスター、テディーグラハムズ。

テクマ!
テクマ!とは、1996年4月にオシャレ貴族(地元の美容院の名前らしい)での対バンが先で、
えらいハンサムなダンサーなのに、変な動きするなあと思ってました。
その後、自分たちが20000Vでライブの時に、実はソロでテクマ!という名前で
活動しているということを知りました。(テクマの存在をおしえてくれたのアダさんだったような気がする)
翌年の1997年1月にテクマ!企画、下北沢屋根裏、テクマ、cali≠gari、ポケットミュージック、カズウー、
に呼んでもらって初対バン。
その後、いろいろありまして、1stと2ndアルバムの制作に協力させてもらいました。

プチミット
コバックスは、1996年6月7日、史上最悪クソレーベルのイベントが20000Vでやった日の打ち上げで初めてあったのだが、
(その日は、肉奴隷の岡田君による20000V炎上事件がありました。)
「は~いコバックで~す」となぜか握手をされ、そのあとウチに来て、勝手に電話に出て、暴言を吐いたりやりたい放題でした。
後日、謝りにやってきて、自分の作った曲のテープをくれたと記憶しています。
1996年9月6日新宿シアターPOOで、男だらけのプチミットと初対バン。
メンツは、プチミット、ヤングリーゼント、THE藁人形、猿、道産子アナル。
その後、いろいろありまして、1stと2ndアルバムの制作に協力させてもらいました。

その他
今でも心残りなのは、ディストーションヒーローのCDをリリースできなかったことです。
(ジャケのデータは、ウチにあります。)

■ご協力ありがとうございました。ライブ、楽しみです!

道産子アナルを、見に来たと受付で言ってくれた人には、もれなく「ならっち新聞」の復刻版もしくは、インディーズマガジンのモテコア特集のコピーを贈呈します。